12月5日(関西地方は12月8日)放送のサラメシにて
理学療法士の方のサラメシが取り上げられます。
理学療法士とは、ケガや病気などで身体に障害のある人などに対して、
基本動作能力の回復や維持などを目的に、
運動療法や物理療法などを用いて、復帰を支援する
医学的リハビリテーションの専門職のかたのことです。
一般の方だけでなく、スポーツ選手の方も対象となります。
結果が全ての厳しい世界に生きる競技選手にとって
早期に元の状態に戻ることが非常に大切ですよね。
さらにどんな状態になりたいかと選手の気持ちが分かる方の
方がより選手に寄り添える支援ができそうな気がします。
そんなことが要求される職業で、今回は
東京やパリオリンピックに出場し、活躍した
岡慎之助選手と杉野正尭選手
をサポートする理学療法士の方の登場です。
そんな凄い選手が頼りにする理学療法士の方が
どのような人なのか
調べてみましたので一緒に見ていきましょう
1. 室井聖史さんのプロフィールは?
DENBA Health インタビュー 徳洲会体操クラブ 理学療法士 室井 聖史様 https://t.co/iskrHuZhfG via @YouTube
— Isao Yoneda (@gymnastyoneda) March 28, 2024
プロフィール
名前 :室井聖史(むろい さとし)
生まれ:1977年5月21日
出生地:栃木県
出身 :千葉県
血液型:A型
経歴 :市船船橋高校ー駒澤大学
藤リハビリテーション学院
紺整会 船橋整形外科
徳洲会体操クラブのコーチ
実績 :市立船橋高校時代は総体出場で跳馬で1位
職業 :理学療法士
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東京やパリオリンピックに出場し、
活躍した後輩の橋本大輝選手や岡慎之助選手と杉野正尭選手
をサポートする理学療法士の方の室井聖史さん。
そんな凄い選手が頼りにする理学療法士の方が
どのような人プロフィールや経歴の方なのか?
室井聖史さんも以前は体操選手だったそうです。
体操始めたきっかけは引っ越しで今までの友達関係がなくなったことを心配した
お母さんの勧めと三歳年上のお姉さんの影響で四歳から始めたそうです。
ですが最初から順調だったわけではなく、当初本人は
嫌で一旦やめたが小学校に上がった時に偶然お母さんが
体操のチラシに目について、嫌がる室井聖史さんをそのきにさせるために
本人が履きたがってたアシックスの新靴はいていいよということで
見学に行き、楽しそうに見えて通い始める。遊び感覚で体操っぽくない感じが気に入った
2.室井聖史さんの経歴や体操のきっかけは?
室井聖史さん三歳までみつわ台団地に住んで友達と
楽しそうに過ごしてたそうです。。
その後四歳で市橋の一軒家に引っ越しをきっかけに
友達が急にいなくなったので出来るまで何かにかよわせたいということで
津田沼の体操クラブに通わせようと親御さんが思われたそうです。
三つ上の姉と一緒に。ですが、本人は気に入らなかったようで
嫌で嫌で辞めてしまいました。
しかしその後、小学校上がったころ偶然チラシにお母さんが目をとめて
また誘われたそうです。一旦、嫌がった体操にまた通わせるとはお母さん体操によほどの思い入れがあるのでしょうか?
以前のこともあるので、やはり嫌がったのか?
このとき嫌がる室井聖史さんをなんとか通わせようと
お母さんが本人が履きたかった
アシックスの新靴はいていいよということで
見学に連れて行きました。
その時に見た光景が室井聖史さんにとって楽しそうに見えて通い始めました。
そこで体操クラブの先生に進められ五年生から競技コースに入る
そこから本格的に体操生活に入ったようです。
中学生の時は、中二の時は総体には出れず、
また中三の時は腰を手術して一年間体操をしてなかったので
参加できず。成績無しとのこと。
中学校の時に目覚ましい成績無しでしたが、
体操の強豪校、市船船橋高校の体育科で
体育科で一番目立ってたそうです。
この高校で当時の市船の監督で有名な清水先生に出会います。
以前はフランスのナショナルチームのコーチだった人。
どのような人かといいますと
モスクワの代表になれたが、
日本がオリンピックボイコットしたため、
参加できなかった人。
世界選手権の体操団体の一人として、
個人でも跳馬で世界の金メダルを獲得している人。
3.室井聖史さんの経歴は?大学から現在、岡慎之助選手たちとの出会い
前述のようなきっかけで体操を始めた室井聖史さん。
元体操選手がどのような経緯で理学療法士になり、
そして岡慎之助選手と杉野正尭選手たちとつながるのか気になりますよね。
高校の後、駒澤大学に推薦で進むことになります。
市船から行った凄い尊敬する先輩がいて、室井さんは高2から行きたいと思ってたところに、高三くらいの時に駒大から話を貰い行くことになった。
大学になるとチームは六人になるが、
一年生の時は本人の力量不足で参加できず。
二年生からありがたいことに主力として使ってもらえるようになったが
四年生の時に二部落ちする。選手として参加するも結果が出なかった四年間。
オリンピック目指してた。高校まで能力高くて出来れば先生が引き上げてくれるが
大学では自分を自分で律して目的意識持ってやっていける子が伸びると実感したそうです。
その後、就職活動も大学四年の二月まで何もしてなかったのですが、今でもお付き合いのある中学、大学で手術してお世話になった船橋整形外科病院の医学療法士の先生から電話来て、飲みの場で履歴書もって集合と言われ訪れた場所が「おじいちゃん、おばあちゃんがいる老人保険施設だった。
そこで一年間アシスタントという形でアルバイトしてたら、その先生が「こういう道あるよ」と
今から学校行って、理学療法士どう?と勧められたが
勉強嫌だったので、拒否してたが
その施設で老人たちと触れてるうちに、何の資格もない自分でも「先生」と呼んでくれる
頼られてるうちにその人たちにしっかりサポートするなら知識とかも身に着ける必要性を感じて
学校行きたいですと言って一年経過してから専門学校に通い始めた。
四年間で特に苦労せずに首席だったそうです。性に合ってたということなのでしょうか?
その後、有難いことに室井聖史さんが生まれ育って自分も手術してもらったり、
地元にある病院、船橋整形外科病院で就職で採用されたそうです。
そこで二年前(2024年7月時点)まで19年間務めた。
体操選手とのつながりは病院勤務の三年目くらいから体操の千葉県の国体の方に市船の子たちばかりで患者でも来てくれるんで
国体のトレーナーとして帯同してほしい依頼が来た。それから携わらせてもらってるそうです。
関わる競技としてはも市船の子たちがU18とかサッカーもあるけど、体操も有、そこに関わるようになった。それと同時にU18の対応してた先生たちが室井さんを紹介してくれるようになった。
ナショナルのアンダー世代(U18 , U15)に2014年から病院で働く傍ら一緒にやってたそうです。
日本だけでなく世界の試合にも帯同する。仕事としていくことの許可が出てた。
始まりは千葉の国体だったので、そこは関わり続けた。それと日本体操協会のU18,15のカテゴリのところのトレーナーとしてやらしてもらった。それをつないで東京までやって、協会の方はってなった時に今の米田監督(アテネの金メダリストの立役者)とのつながりが出来たとか。
その米田さんが自分がいた実業団の監督やってるけど、そこに二年前にお話しいただいて、今一緒にやらせてもらっているそうです。
これからもいろんな方の復帰支援に頑張ってもらいたいですね。
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